大判例

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東京高等裁判所 昭和32年(う)2124号 判決

控訴人 被告人 竹内幸七

弁護人 石川功

検察官 泉政憲

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は弁護人石川功作成名義の控訴趣意書のとおりであるからここに之を引用し之に対し次のとおり判断する。

控訴趣意一乃至六。

原判決の認定するところは、被告人は自動車運転者として昭和三十一年九月十四日午後一時十分頃普通乗用自動車を運転し平塚方面より旭部落方面に向い神奈川県中郡大磯町高麗四百四十八番地先へ差しかかつたが同所は幅員約四米二〇の狭隘な道路で左曲線を描いているので自動車運転者としては右道路の状況に応じ警音器を吹鳴し徐行して進行し危険の発生を防止すべき業務上の注意義務があるのに之を怠り僅かに警音器を鳴らしたのみで毎時三十粁位の速度で進行したため反対方向から吉岡省真が運転して来た軽自動二輪車を約十四米先で発見し急停車の措置を執つたが及ばず右軽自動車を自己の自動車の右前照灯附近に接触させ同人を路上に転倒せしめ傷害を負はしめたと謂うのであつて所論の要旨は、原判決は右の如く被告人の過失を認定しているが、被告人名義の上申書、原審証人出繩カメ同出繩明子の各証人訊問調書、実況見分調書によれば被告人としては判示曲り角に差しかかる前警音器を鳴らしブレーキに足を置いた外後車との追突のないこと、反対方向よりトラック、乗用車等大型車の進行して来ないこと、小型車等同所で見透し難いものは充分擦れ違うことが出来ることを確認し速度を時速約二十粁に減速し道路の左側を進行したのだから被告人には何等過失はない。しかるに一方吉岡省真は実況見分調書、原審証人吉岡省真の証人訊問調書に明らかなとおり判示曲り角に差かかつた際反対方向より道路中央稍々右側を急速度にて減速することなく進行し来り急遽外廻りへ回避しなかつたのだから本件事故は到底避けられなかつたもので不可抗力という外ない。之を避けるは判示曲り角の手前で被告人が自己の普通乗用車を完全に停車する以外方法はない。かかることを被告人に要求することは自動車運転の実情を無視した暴論で仮りに被告人が最徐行しなかつたことを過失としても本件事故は吉岡省真の行為に基因するのだから傷害と因果関係はないと主張する。

案ずるに原判決が証拠として挙示する実況見分調書によれば原判示の事故現場の幅員は四米二〇の狭隘な道路で其の曲り角は九十度近くの鋭角で被告人運転の乗用自動車の前方左側には草生い茂り且つ樹木数本あつて反対方向より来る自動車等を見透し得ない場所であることが認められるので、かかる場所を通過する際は自動車運転者としては事故の発生を未然に防止する為め警音器を吹鳴するは勿論何時にても停車し得るよう最徐行する義務のあることは当然である(道路交通取締法施行令第二十九条参照)。然るに被告人は原判示のとおり右狭隘な曲り角を運転通過するに当り不注意にも危険の発生なかるべしと軽信し、僅かに警音器を鳴らしたのみで殆んど減速せず時速三十粁位にて運転進行し因つて本件事故を惹起したことは原判決挙示の証拠特に司法警察員作成の実況見分調書、被告人の司法警察員に対する供述調書によりこれを肯認することが出来る。尤も所論の被告人名義の上申書、原審証人出繩カメ同出繩明子の各証人訊問調書には所論のように前後を確認し速度を減速し左側通行其の他の措置を講じた旨の記載があるがこれらは原審が証拠の取捨選択権に基き他の証拠に照らして採用しなかつたところであつて右の取捨には何等不法不当は認められない。

更に所論は被告人は自動車運転者として十分の注意義務を尽したのに被害者吉岡省真の過失により本件事故が惹起されたと主張する。なるほど原判決挙示の証拠によれば被害者吉岡省真にも現場に差かかる迄の走路の位置等の点に過失のあることが認められない訳ではないが、たとえ被害者側に右の如き過失があつたとしても現場に差かかつた際には被害者は速度を落して居り被告人の自動車を発見するや正面衝突を避けんとしてハンドルを左に切つたことが認められるのであるから、被告人に於て叙上のとおり最徐行をして居たなら距離的にも時間的にも余裕を生じ本件事故を回避し得たことは明らかであつて、従つて本件事故発生の不可抗力ではなく又被告人の過失と傷害との間に因果関係のあることも認められる。

之を要するに所論は原審の証拠の取捨選択を非難し独自の見解を述べているが原審の証拠の取捨選択には何等採証法則違反の廉は発見出来ず原判示事実はその挙示の証拠によりこれを肯認するに十分であつて原判決には所論のような判決に影響を及ぼすこと明らかな事実の誤認はない。論旨は理由がない。

(その他の判決理由は省略する)

(裁判長判事 中西要一 判事 山田要治 判事 鈴本良一)

弁護人石川功の控訴趣意

原判決は次の通り誤判がある。仮りに誤判たらずとするも刑の量定を誤つている。

一、被告人の行為に付原判決は、「警音器を吹鳴し最徐行して進行し危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務あるに不拘、不注意にも之を怠り僅かに警音器を鳴らしたのみで毎時三十粁位の速度で漫然進行した」とし被告人の過失を認定した。然し乍ら原審記録に表はれた当時の状況は次の通りで被告人に過去はない。

1 昭和三十一年九月十四日午後一時少し前に被告人は本件自動車を運転し倉田病院から退院患者出繩明子及びその母出繩カメを乗せ出発した。盲腸手術後の患者故出発に際し病院長より「静かに行く様、激動を与えない様」と注意されたし、又平素より此の様な運転を常にやつておるので、被告人は細心の注意で運行した。(被告人上申書)

2 東海道を通り花水橋より右折し本件事故発生地近く迄道路は巾員四、二米、直線コースで見透し充分である。被告人は時速約三二粁で道路の左側を走つた。此の時速は平塚市の繁華街の制限時速四五粁と比較すると緩かであり、被告人が如何に運行に注意したかが判る。(被告人上申書、証人出繩明子、同出繩カメの各証言)

3 花水橋より本件事故発生の曲り角迄は見透しが出来、前行する自動車、車馬、歩行者、自転車等なく曲り角で追突する心配はなく反対側より来る者のみに注意すればよい状況であつた。そこで被告人は先ず曲り角に差しかかる手前、現在木の門のある辺で警笛を鳴らして反対側より来る者へ注意した。此の様に警笛をならしておることは既に被告人が曲り角の運行に付「注意すべきことを認識し第一の処理に着手しておる」のであつて原判決の云う如き漫然と運行した状態でないことが明白である。(被告人上申書、証人出繩明子、同出繩カメの証言)

4 当時本件事故現場の道路左側(被告人の進行方法から云つて)は現在と異り木柵なく、竹、草等が高さ四、五尺に繁り曲り角の手前から曲り角の先を完全に見透すことは不可能であつた。然し反対側より来るトラツクや、乗用車等の背の高いものは竹、草の上から見透しが出来るが、本件の場合には被告人は此等のものは認められなかつた。(実況見分調書、被告人上申書、証人出繩明子、同出縄カメ各証言)

5 従つて被告人が警戒を必要とするは確認出来ない反対側より来る歩行者、自転車、荷車、オートバイ等であるが此等のものは普通の交通常識より云つて当然左側通行する故曲り角で被告人が左図の通り内廻りすれば、反対側より来る者は外へ大廻りする。

図〈省略〉

処が道路の巾員四、二米、被告人の運転する自動車の巾員二米故被告人が左側一杯に花水橋の処から運行しておつたのであるからトラツクや乗用車等の大型でない限り充分に「すれ違い」が出来被告人は右交通上の常識を予見しつつ「すれ違い」を完全に行うため極力内廻りを静かにやる様次の処置をとつた。(実況見分調書、被告人上申書)

6 被告人は警笛をならした処から約十六米位進行したあたり、曲り角より約十米位手前の処で「ブレーキ」をかけた。此の事は実況見分調書に曲り角より相当手前で未だ吉岡の軽二輪自動車を確認しない処から、長く「スリツプ」の痕跡のあることが記載されておることから明白である。此のブレーキをかけた理由は内廻りを静かにやるには減速することが必要で直線コースの時の速度のままでは遠心力で車の後部が反対側にふり廻され乗客に激動を与える心配があるからである。

図〈省略〉

そして時速約二十粁に減速して静かに内廻りした、而も一旦減速して充分静かに内廻り出来る様になつたので「ブレーキ」上に足を置き常に急停車出来る態度で内廻り進行した。尤も此の時速二十粁と云うことは正確ではない。一々計器を見る訳でなく「静かに内廻り出来る程度迄減速した」と表現するが正しい。此の点は証人出繩明子、同出繩カメの各証言にある通り静かに内廻りし且吉岡の車を認めて急停車する時も著しい激動のなかつたのであるから争う余地はない。従つて実際は時速二十粁より相当下廻つておつたと考える。(実況見分調書、被告人上申書、証人出繩明子、同出繩カメの各証言)

7 起訴状や原判決では被告人が曲り角で減速せず漫然運行したと云うが、物体の慣性から云つて減速せずに曲れる訳はなく、運転者は曲り角で無意識的に減速することが習慣づけられておる。実況見分調書を見ても被告人の車は曲り角で道路内廻りで曲つておることが明確になつておる。原判決の判断は運行の実状を無視した暴論である。

8 以上の如く被告は、1手前で先づ警笛をならし、2追突のないことを確認し、3反対側から来るトラツク、乗用自動車等の大型車のないことを確認し、4左側に充分寄つて反対側より来る歩行者、自転車、荷車、オートバイ等が充分すれ違う余地あることを確認し、5減速して静かに内廻りしつつ常に急停車出来る様ブレーキに足をかけたまま進行したのであり、此れ以上被告人に要求する処はない。従つて被告人に過失の存する理由はない。

二、本件事故の発生は全く被告人の予見出来ない事実、即ち吉岡が交通常識に反し「道路中央」を反対側より急速度で運行し来り、而も吉岡は外廻り(吉岡の方向から云つて左側)への方向へ退避しなかつたことに起因する。

1実状見分調書、二、現場の模様、ハの記載中「軽二輪自動車は旭部落方向より進行し来り、…………道の中

図〈省略〉

央より右側へ(被告人の進行する側)を走行し来つたものと認められる」とある事実

2吉岡は被告人の車を認めた時その距離が十五、六米ある故、当然左へかぢをとり急停車措置をとれば道路の巾員から云つて充分避けられる訳である。此の措置を執ることは交通常識上当然のことで被告人も亦吉岡が斯る措置を執ることを当然予期した。

3処が吉岡は右側(吉岡の進行方向から云つて、被告人の車の方)を注意せず、花水川寄りの土手の平坦な処へ出れば退避出来ると誤認し、逆に速度を増し本件衝突がおこつた。吉岡証人の供述調書中「私は道路の中央辺を砂利道で雨が降つていたので速度を三十五粁で走らせて先程申述べた曲り角に来た時」「私は警笛をならしただけで速度はそのままで来まして曲り角を曲つて平らみに出てから見ようとして右側を全然注意して来ませんでした」「それは生垣で見透しが充分でなく平らみに出て見ようとしたのみで中央を走らず、左を走つて徐行しておれば事故は起さずにすんだと思つております」等の供述からも此の点は明瞭である。

三、右の次第で本件事故の発生は被告人の予期せざる吉岡の交通常識に反する運行に起因し、被告人として予見し回避出来る性質のものでなく被告人にとり全く不可抗力と云う外はない。

四、本件事故は原判決の要求する如く最徐行を被告人がしておつても、吉岡の車が中央を減速せず走つてくるのであるから避けられない。如何に被告人が減速して走つても、反対側から道路中央を吉岡の車が走つて来て而もその車は退避しないのであるから被告人の車が曲り角の手前で完全停車しない限り事故防止の方法は被告人側にない。

図〈省略〉

五、結果論から云つて吉岡の車が退避せず道路中央を走つてくるのであるから、如何に被告人が最徐行しても曲り角より少しでも先きに進行すれば直ちに急停車しても完全に衝突する。此の場合に衝突を回避出来た唯一の方法は曲り角手前で被告人が完全停車し、一旦被告人が車から出て曲り角から先きを確認し再び乗車して運行する以外にはない。然し斯る注意義務を被告人に要求することは近代的な交通機関たる自動車の使命を無視した暴論である。

六、原判決は被告人が最徐行しなかつたことに過失を認定しておるが最徐行しても曲り角より少しでも出れば衝突するのであり、最徐行したからと云つて此の事故が回避出来たとは思はれない故仮りに最徐行しなかつたことに過失があつても、此の過失と傷害との間には因果関係は存せず、過失傷害を論ずることは失当である。

七、仮りに被告人の行為の中に運転者の注意義務に背反する事実があつたにしても、それは極めて軽微でありそのことにより本件事故が発生したとは簡単に断定出来ない性質のもの故、有罪を認定するにしてもその刑は最少限度に軽減さるべきものであり、当然執行猶予の恩典が与へらるべき事実である。此の意味に於て仮りに有罪なりとするも罰金刑に付当然執行猶予の云渡しがあるべきであり、原判決は刑の量定が失当である。

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